石本藤雄と日々の暮らし 2(砥部篇)
2021.12.16
- Story
愛媛 — 自然に包まれた砥部での日々
「フィンランド語の『ilo(イロ)』は、よろこびという意味なんですよ」。
そんな楽しい話を教えてくれる石本藤雄さん。色はまさに心はずむ時間をもたらしてくれるものですが、石本さんの手から生まれ出る美しい色の表現こそ、よろこびに満ちていることを改めて感じます。テキスタイルデザインも陶の作品も、豊かな色に包まれ、のびやかな表情ばかり。
そうした石本さんの表現の源泉ともなっているのが、幼少時代に過ごした四国の風景です。砥部(とべ)焼の産地としても知られる愛媛県砥部に生まれ育った石本さん。「家の近所には陶房の窯があり、うつわの破片が地面に落ちていたりもしました。そうした破片を集めては遊び道具にしていました」
目を遠くに向けてみれば、連なる山々のなかでひときわそびえる障子山。みかん畑が広がる近所の景色は、青く澄んだ空とともに。
「野に行くと足元には花々が咲いています。なかでも気に入っていたのは小さな白い花でしたね。子どもの頃は、実家の庭にあったヤマモモの樹に登り、赤い実をとって食べていたりもしていました。水田での水遊びも楽しい思い出です。雨が降ると水田の溝からあふれ出るように勢いよく水が流れ、川へと注いでいく。近所の仲間たちと笹の葉でつくった小舟を流しては、誰の舟が一番か、順位を競ったりもしていました」
石本さんの思い出は、砥部の光のなかで目にしていた色とともにあります。当時出会い、現在も鮮明な色は、本のなかにも。
「家にあった辞書や図鑑をひらくと未知の世界に出会えることも嬉しくて、高校生だった姉の美術の教科書もよく見ていました。フランスの画家ピエール・ボナールを知ったのもその教科書した。なかでも気に入っていた作品は、赤いチェックのクロスが印象的な丸いテーブルに、女性と黒い犬がいる光景を描いたものでした。
ものをつくることに没頭していました。
「手を動かすことが好きだったので、一日じゅう家にいられる雨の日は嬉しかったですね。小学生のときにはグライダーをつくって遊んだり。物を分解することにも興味があって、家にあった蓄音機を分解したりもしていました(笑)。中学生になると雑誌の『子供の科学』にあった記事を参考にして、扇風機や小型洗濯機などもつくっていましたよ」
中学時代にはまた、夏休みの課題となっていた俳句で賞を受賞。「里芋の つゆを転がす、小さな手」。里芋の葉にたまった水を集め、その水で墨を摺り、七夕の日に文字を描く……初夏の情景が瞬時に思い浮かぶ、石本さんならではの描写です。
砥部での暮らしは高校生まで。デザイナーというしごとに憧れを抱いた石本さんは、故郷を離れて東京に向かいます。進んだのは東京藝術大学の工芸科でした。
タイトル下の写真:Courtesy of Fujiwo Ishimoto.石本さんの実家の横にあった戦前まで砥部の陶工達に使われていた作業場。背後には障子山。1981年撮影。
文:川上典李子
川上典李子(かわかみのりこ) ジャーナリスト。デザイン誌「AXIS」編集部を経て独立、デザイナーやアーティストの取材を続け、デザイン誌をはじめ「Pen」「Figaro Japon」「Vogue」等にも執筆。2007年より21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクターとしてデザイン展覧会の企画にも関わっている。武蔵野美術大学 客員教授。
Photo: Kenichi Yamaguchi