石本藤雄と日々の暮らし 4(フィンランド到着篇)

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石本藤雄と日々の暮らし 4(フィンランド到着篇)

フィンランド、ヘルシンキ — 雪のなかでの出会い

「飛行機の窓の外には雪景色が広がっていました。ああ雪だ、なんてきれいなんだろうと思いました」

コペンハーゲンの次にはパリに向かい、ミラノ、アテネを訪ねた後、香港を経て日本に帰国する予定だった世界一周旅行の旅。計画にはなかったヘルシンキを次の渡航先に決め、石本さんはコペンハーゲンの空港を後にしました。

2時間弱のフライトを経て目にしたのは、愛媛でも東京でも体験したことのなかった一面の雪景色。大学卒業後に足を運んだフィンランドのデザイン展の会場で想像を巡らせたことのある「北欧の雪景色」をまさに目のあたりにした瞬間でした。「これはすごいところに来てしまった! と、心が躍りました」

ヘルシンキに到着してまず行ったのは、極寒の冬に対応できるコートを購入することでした。その足元はこだわりのブーツ。「ジーンズにあわせて楽しもうとニューヨークで購入したお気に入りのブーツを、さっそく履くことになってしまいました」

Photo by Ture Westberg, Courtesy of Fujiwo Ishimoto. ディセンプレ時代の一コマ、お気に入りのアーミーコートを着て。

マリメッコ本社を訪ねたのはヘルシンキ滞在3日目のこと。創業者で社長のアルミ・ラティアは不在でしたが、マリメッコで活躍していた脇阪克二さんが石本さんを迎えてくれました。このときのマリメッコ社の印象は「赤」だったと石本さん。

「脇阪さんが案内してくれたマリメッコの食堂はとても良い雰囲気でした。テーブルには赤と白の幅広いストライプのオイルクロスがかけられていて、置かれていたベンチも鮮やかな赤でした。1メートル四方の色とりどりのテキスタイルが壁を覆っていたことも覚えています」

フィンランドに到着後すぐ、石本さんはもうひとり、デザイン界の重鎮に会っています。そのひとの名を冠する国際的なデザイン賞を後に自分が受賞することになるとは想像もできなかったこのとき、カイ・フランク、本人との出会いでした。

「コペンハーゲン滞在中に紹介されてお会いしていた方が、カイ宛ての手紙を書いてくれて、会うことができたのです。私自身の夢をカイに伝えると、『自分の欲望を忘れることなく、がんばりなさい』と、私の背中を押してくれました」

続いて、マリメッコ生みの親であるアルミ・ラティアとの出会いが、実現。「大きな歩幅で、社内を颯爽と歩く姿」が、石本さんにとってのアルミの第一印象だったそう。「東京で働いていた市田時代にデザインしたビジュアルブックをアルミに紹介すると、1ページ1ページ、丁寧に目を通してくれました。釧路の草原で撮影した写真は特に熱心に見てくれて、ほめてくれました」

Courtesy of Fujiwo Ishimoto. 市田時代のビジュアルブック。

このときスタッフを募っていた部署はマリメッコ社内にありませんでしたが、アルミは息子のリストマッティ・ラティアが統括していた関連会社「ディッセンブレ」に石本さんを紹介しています。通常は3週間の試用期間があるものの、才能を高く評価された石本さんは一週間でディッセンブレの社員となり、仕事を任されるようになりました。

Courtesy of Fujiwo Ishimoto. ディセンブレのオフィスで。壁のイラストは石本さんによって切り紙でつくられている。

ディッセンブレには、翌年の初夏まで所属。リストマッティと開発したひとつに、後にマリメッコの人気商品となり、現在も人気を博しているショルダーバッグがあります。「大島 渚さんが監督を務めた日本映画「少年」をフィンランドで目にする機会がありました。映画に登場する中学生のカバンが記憶にあって、そこからデザインを広げた巾広の肩掛けカバンです。

Marimekko-Olkalaukku, Courtesy of Fujiwo Ishimoto. ディセンブレでリストマッティと手がけたバック。完成当時から石本さんが所有しているもの。

日々の仕事をこなしながらも、マリメッコで働く機会を願って、自らの作品制作も続けていた石本さん。その熱意をディッセンブレも応援してくれ、年に一度、マリメッコ社に作品提案を行う時間を与えてくれました。けれど、すぐに社員になれるわけではありません。マリメッコの心をとらえたのは3度目の提案、1973 年のことでした。こうして、石本さんがフィンランドに向かった際に願い、決意した、「マリメッコのデザイナー」としての一歩をいよいよ踏み出します。

次回につづく

タイトル下の写真:Courtesy of Fujiwo Ishimoto. ディッセンブレでデザインに没頭している石本さん。

文:川上典李子
川上典李子(かわかみのりこ) ジャーナリスト。デザイン誌「AXIS」編集部を経て独立、デザイナーやアーティストの取材を続け、デザイン誌をはじめ「Pen」「Figaro Japon」「Vogue」等にも執筆。2007年より21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクターとしてデザイン展覧会の企画にも関わっている。武蔵野美術大学 客員教授。

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Photo: Kenichi Yamaguchi

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